マーケット情報

円安と日本の貿易収支

明治学院大学経済学部 教授 佐々木百合 氏

明治学院大学経済学部
教授
佐々木百合 氏

最近、アベノミクスによる円安が貿易収支の改善をもたらさない、といった議論を多く見かける。ここではあらためて、為替相場と貿易収支の関係を確認し、貿易収支が改善しない理由について整理する。大学のマクロ経済学のテキストに出てくる輸入関数の中身は、実質為替相場と所得である。まず実質為替相場の動きを確認し、その影響を考察してから、所得の影響、その他の要因について述べる。

実質為替相場の動きと為替相場のパススルー、需要の価格弾力性

マーケットでは、日々名目為替相場が変動している。そのなかで一番注目されるのがドル円相場である。ドル円相場は、2000年以降リーマンショックが発生するまで、ほぼ110円〜120円を中心に動いていた。それがリーマンショック後の急激な円高で70円台をつけ、その後アベノミクスによって120円台まで戻ってきた。アメリカ以外の輸出先も考慮にいれた名目実効為替レート(※1)にしても、それほど大きな違いはない。

  • ※1 特定の2通貨間の為替レートをみているだけでは捉えられない、相対的な通貨の実力を測るための総合的な指標

それよりも貿易収支に大きな影響を与えているのは、物価である。図1は、日本と米国の1990年からの消費者物価指数を1990年を100としてプロットしてある。これをみると、アメリカでは毎年数パーセントずつ物価が上昇しているのに、日本ではほとんど物価が変化していないため、25年間のグラフの差は、70〜80パーセントになっている。つまり、この間に為替相場が大して動かなかったとしたら、アメリカ人からみた日本の物価はとても安いものになっているということだ。

図1 日本とアメリカの消費者物価指数の推移
  • (出典:International Monetary Fund, World Economic Outlook Database, October 2014の数値を1990年=100に変換したもの)

このような物価の違いをみるために、同じ通貨建てでみた自国と外国の相対物価を表したのが実質為替相場である(実質為替相場=日本の物価÷(アメリカの物価×円ドル相場))。実質実効為替相場の動向(図2)をみると、名目為替相場が比較的安定的であった金融危機前までの段階で、物価の差から、日本の財は外国からみてかなり割安となっていることがわかる(実質円安)。そして、金融危機後の名目ベースでの円高により、日本の財は割高化し、その後アベノミクスによる名目ベースでの円安でまた割安化した状態にある。現状では、金融危機前の水準をさらに少し割り込み、1973年以来の実質円安といわれる水準にまでなっている。

図2 円の実質実効為替相場
  • (出所:BIS)

日本の財がそれだけ安くなっているのなら、もっと売れてもいいのではないかという疑問が浮かぶ。しかし、気を付けなければいけないのは、為替相場は変化したが、本当に外国で売られる日本製品は安くなっているのか、ということである。輸入価格が為替相場の影響を受けるときに、『為替相場がパススルーしている』というが、近年では為替相場のパススルー率が世界的に低くなってきていることが指摘されている(※2)。理由はいくつか考えられるが、例えばYoshida and Sasaki(2015)では、ミクロレベルでみると、自動車輸出価格が為替相場の影響を受けて変化しても、小売り段階ではその変化を流通業者が吸収している可能性が示されている。よって、為替相場が動いても、実際には店頭での販売価格は為替の変化ほどには動いていない可能性が高い。したがって、最近の円安の進行ほどには日本製品が安くなっていない可能性がある。
次に、為替相場の変化によって相対的に日本の物価が安くなったとしても、外国の人々がどれくらい購入する量を増やすかはわからない。日本の場合は、輸出の主力である自動車や電化製品は価格弾力性が高く、ちょっと価格が下がれば買う人は増えると考えられている。一方、輸入の主力である原燃料は必需品であり、価格弾力性が低い。よって、円安になって価格が高くなっても、それほど買う量を減らすことはできない。震災後にエネルギー輸入が増加したことや、長期的にみて原燃料価格が高くなっていることを考えれば、円安によって貿易収支が改善する、といった効果は、輸入側で効果が薄められているといえる。

  • ※2 Campa and Goldberg(2004)によって世界的なパススルー低下の実証結果が示されて以来、様々な分析によってその傾向が強いことが示されてきている

輸出先国の需要とその他の要因

上記で議論した実質為替相場以外に、貿易を左右するもう一つの重要な変数が所得、つまり、輸出先国の需要の強さを示すGDPである。図3には日本の主要輸出先国のGDPがプロットされている。日本の輸出先の1位、2位を占めるアメリカと中国のGDP成長率は、金融危機により大きく低下した。その後、アメリカは比較的早くGDPが上昇し始めたが、物価の動きを調整した実質経済成長率は危機前の水準にまだ達していない。中国については、危機前に10%以上を記録していた実質経済成長率はかげりをみせており、特に2012年以降は低迷している。さらに、輸出先の3・4・5位を占める、韓国、台湾、香港も、危機前に比べると実質経済成長率はかなり低迷している。このようなアジア経済の低迷の一因は欧州危機による欧州向け輸出の低下であり、金融危機後にいったん回復するかにみえた成長率は、ギリシャ危機の2010年頃からまた落ち込んでしまった。したがって、日本の輸出価格が金融危機前に戻った、あるいはそれよりも低くなってきているといっても、輸出先の景気は金融危機前ほどには回復していないので、なかなか輸出数量が増えにくくなっていると考えられる。

図3 日本の主要輸出先の実質経済成長率の推移
  • (出所:International Monetary Fund, World Economic Outlook Database, October 2014 2013年の値はIMFによる推計値)

その他にも、日本企業の競争力の問題や、産業別の特殊な要因などがあるが、最近特に注目されているのが、企業の海外生産の影響である。海外生産は1985年のプラザ合意後の円高を経験してから、主に北米向けの直接投資という形で進んできたが、2000年以降はアジアに向けて進出する企業が数多く出た。2012年度には製造業の海外生産比率は20%を超え、例えば乗用車生産であれば、大手企業は半分以上を海外で生産している。海外生産が増加すれば、為替相場が変化するときの輸出入への影響は小さくなると考えられる。一方で、海外子会社からの収益は第一次所得収支として経常収支の黒字を支えることになる。
以上のように整理すると、為替相場のパススルーの低下や企業の海外現地生産の増加が、構造的に円安の貿易収支の好転効果を弱めてきているのは確かであろう。しかし、今回の円安については、為替相場が円安になったことによる輸出増加の効果よりも、金融危機とユーロ危機の影響で世界的に需要が減退していることによる輸出減少の効果のほうがむしろ大きいようにみえる。特に貿易構造が世界的に複雑に関係しあっていることから、日本の貿易への直接的な影響が少ないと思われるユーロ危機であっても、日本の輸出先国のGDP低下を通じた間接的な効果が無視できないということが重要だ。今後の貿易の行方を見通すうえで、アメリカ、アジアだけでなく、欧州の動向も注目すべきだろう。

  • (参考文献)
  • Campa, José Manuel and Goldberg, Linda S., 2004. "Exchange Rate Pass-Through into Import Prices," CEPR Discussion Papers 4391, C.E.P.R. Discussion Papers.
  • Yushi Yoshida and Yuri Sasaki, 2015, Automobile Exports: Export Price and Retail Price, Discussion Papers 15-E-024 , Research Institute of Economy, Trade and Industry (RIETI).

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