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「経済の好循環」の実現とはどういうことか

慶応義塾大学経済学部 教授 池尾和人 氏

慶応義塾大学経済学部
教授
池尾和人 氏

はじめに

安倍政権の発足以降、「経済の好循環」の実現という表現をしばしば目にするようになった。この経済の好循環というのは、狭義には「企業収益の拡大→賃金上昇・雇用拡大→消費の拡大や投資の増加→さらなる企業収益の拡大」というものらしいが、もう少し広義に用いられていることが多いような感じがする。ここでは、「経済の好循環」という分かったようで、よく考えると(私だけかもしれないが)かえって分からなくなる話について考えてみたい。

「萎縮」均衡からの脱却

広義に「経済の好循環」を語る人の議論は、次のようなものであると思われる。すなわち、これまでの日本経済は、人々や企業が守りの姿勢をとるようになったために(守りの姿勢をとることは個別的には合理的であったとしても、「合成の誤謬」(注1)として)、いわば「萎縮」均衡に陥っていた。この状態の下では、物的資本・人的資本への投資が手控えられたために、成長の潜在力自体が低下してきた。逆にいうと、人々や企業の姿勢がより能動的なものに転換すれば、成長力そのものをより伸長させることが可能である。そうした可能性を実現することが、経済の好循環の実現にほかならない。

  • (注1)個々人にとっては良いことも、全員が同じことをすると、意図しない結果や悪い結果が生じる事。

要するに、人々や企業の積極性が失われているときの「萎縮」均衡と積極性が復活したときの「伸長」均衡という、少なくとも2種類の均衡の存在を想定した上で、「人々や企業の積極性を回復させることで前者の均衡から後者の均衡への移行を達成する」ことを経済の好循環の実現と表現しているようである。また、ここで積極性といったものをケインズにならってアニマルスピリットと呼ぶことが多いようである。

経済の悪循環(「萎縮」均衡)
経済の好循環(「伸長」均衡)

確かに、近年の日本社会にはアニマルスピリットが不足していたように私にも思われる。また、多くの日本人が将来への不安を意識し、自信喪失気味であったのも事実であろう。人々や企業がもっと前向きであったら、もっと高い成長を実現できたはずだというのは、定性的にはそうだといえることだと思う。ただし、その定量的な大きさがどれほどのものかは定かではない。それこそ「気分の問題」くらいの差でしかなかったかもしれない可能性はある(注2)。

  • (注2)「気分の問題」程度というのは言い過ぎにしても、現状は0%台前半だとみられている実質潜在成長率を政府が目標としている2%に引き上げるほどの大きな効果があるかどうかは疑わしい。

アニマルスピリットの復活

それ以上に、最近の「経済の好循環」の議論で疑問なのは、デフレマインドが形成されたことでアニマルスピリットが失われたという主張がなされている点である。もし「デフレの継続→デフレマインドの形成→アニマルスピリットの喪失」というロジックが正しいのであれば、アニマルスピリットを復活させるためには、デフレマインドを払拭する必要があり、そのためにはインフレ期待を醸成する必要がという話になる。

日本銀行の黒田総裁は、明確にそうした主張をしている。「デフレから脱却し、経済主体が2%の物価上昇を前提に行動するような経済・社会を実現することは、企業や家計の失われたアニマルスピリットを復活させることになります。そうなれば、リスクをとった積極的な投資が行われるようになり、各種のイノベーションも生じやすくなります」(2015年3月20日の日本外国特派員協会における講演)。この意味で、「デフレから脱却すること自体が、日本経済の成長力の強化に資する」(同)とされている。

しかし、人々が2%の物価上昇を前提に(期待して)行動するようになるとアニマルスピリットが復活するというのは、正直に言って、眉に唾を付けたくなるような話である。本当にデフレマインドが形成されたことでアニマルスピリットが失われたのか。(何か別の原因で)アニマルスピリットが失われて、その結果としてデフレになったのではないか。(結果が原因を強めることになるというフィードバックは考えられるにせよ)デフレは原因ではなく、結果(症状)ではないのか。どうも話は逆のように思われる。

デフレは「原因」か「結果」か?

成長力低下の原因は何か

もっとも一般論としては、需要不足の継続が供給能力の劣化の原因になり、需要拡大策をとることで投資が誘発され、供給能力の強化につながるというケースは存在する。したがって、本質的な問題は、近年の日本経済がこのケースに該当するものとみられるかどうかである。このケースに該当するのであれば、アベノミクスの第1の矢(大胆な金融緩和)と第2の矢(機動的な財政出動)も、単なる時間稼ぎのカンフル剤ということにとどまらず、黒田総裁の言うとおり「成長力の強化に資する」ものだといえることになる。

この問題に対する答えは論者によって分かれるであろうが、私自身の判断は、近年の日本経済は上記のケースとは異なるというものである。確かに近年の日本経済については、(1)マイナスのGDPギャップ(需要不足の継続)と(2)潜在成長率の低下(供給能力の劣化)が同時に生じていることが多かった。しかし、このことは、(1)が(2)の原因であることを意味するとは限らない。むしろ逆に(2)が(1)の原因となっている、あるいは(1)と(2)とも別の共通した原因によって引き起こされているという可能性は無視できない。

成長率低下の原因は?
  • ※GDPギャップの推計にあたっては、潜在GDPを「経済の過去のトレンドからみて平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDP」と定義している。
  • (データ元:内閣府 作成:(株)新生銀行 金融調査部)

翁邦雄氏が1月の本コーナーで論じられていたような(注3)人口動態の問題が原因となって(2)が引き起こされ、それによる成長期待の低下が恒常所得の見通しを引き下げる、あるいは社会保障制度の持続可能性に関する懸念を高めることで、足下の支出の抑制につながることで(1)をもたらしたというのが、考え得る代替的な仮説である(注4)。こちらの仮説の方が正しければ、人口動態への対応に本腰を入れたかたちで成長戦略(第3の矢)を推進する以外になく、残念ながら、第1と第2の矢で経済が容易に好循環をはじめるとは期待できないということになる。

  • (注3)翁氏の主張は、翁邦雄『経済の大転換と日本銀行』岩波書店、2015年でより詳しく展開されている。
  • (注4)人口構成の変化は、様々な経路を通じて経済成長に影響すると考えられるが、その1つの経路として、世代別のイノベーション過程への貢献の違いがあげられる。すなわち、若年および中年の労働者は大いに貢献するとみられるが、高齢者はそうではない。したがって、高齢化の進展はイノベーションの低迷にもつながりがちな要因だといえる。この点については、
    Yunus Aksoy, Henrique Basso, Tobias Grasl, and Ron Smith, "Demographic structure and macroeconomy," http://www.voxeu.org, 08 April 2015.
    を参照されたい。
日本 労働力人口(1982年1月〜2015年3月)
  • (データ元:Bloomberg 作成:(株)新生銀行 金融調査部)

各稿は各執筆者が執筆時点の経済その他の状況ならびに見解を踏まえて作成したものです。 また、各稿は情報提供を目的としたものであり、お客さまに特定の投資方針や相場観等を推奨するものではありません。 各稿は執筆時点の信頼できると思われる情報に基づいて各執筆者が作成しておりますが、情報の正確性、完全性が保証されているものではありません。 ご投資にあたっては、お客さまご自身の責任と判断で行っていただきますようお願いいたします。

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