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消費者物価の品質調整

東京大学大学院 経済学研究科 教授 渡辺努 氏

東京大学大学院
経済学研究科 教授
渡辺努 氏

消費者物価の基準改定

総務省統計局が作成する消費者物価指数は5年に一度、基準改定という作業を行う。今年はその年に当たり、2015年基準の作業が進行中で、筆者も統計委員会の専門委員として関与している。消費者物価指数は「指数」であり、どこかの時点を100とする。100とする時点が基準時点であり、現在は2010年を100とする指数が公表されている。この基準時点を2015年に切り替えるという意味で基準改定である。

これだけであればどこを100とするかの問題に過ぎないが、5年に一度の基準改定を機に消費者物価統計のオーバーホールが行われている。これが重要である。その作業の一環として、物価指数の対象商品の見直しが行われる。5年の間に廃れた商品を外し、新たに登場した商品を組み込む。また、5年前と比較して消費における重要性が変化している商品についてウエイトの変更を行う。今年の場合は、体温計が外れ、新たに青汁が登場する。また、住宅のリフォーム関連サービスのウエイトが高まる。

消費者物価指数の過去の基準改定の影響
  • ※基準改定した年の生鮮食品を除くベースの前年比
  • (データ元:総務省 作成:(株)新生銀行 金融調査部)

消費者物価対象商品の見直しが5年に一度の頻度というのは、商品が目まぐるしく新陳代謝する時代にあって、ややのんびりした印象は拭えない。その点は関係者の間でも十分に認識されており、5年おきの基準改定のタイミングを待たずに中間年で見直しを行うことも既に始められている。しかし中間年での見直しはあくまで補助的なものに止まっており、十分とは言えない。

家賃の品質調整

今年のオーバーホールのもうひとつの目玉になりそうなのは、家賃の計測手法の見直しである。6月25日に開催された統計委員会では、日銀から家賃の品質調整方法を見直すべきとの提案がなされた。住宅は経年劣化する。リノベーションしたとしても時間が経てば価値が下がってしまう。したがって住宅の売買価格も家賃も、家が古くなるにつれて低下することになる。住宅の売買価格はCPIには含まれていないが、家賃は含まれており、CPI全体の約2割を占める重要な構成要素である。その家賃が賃貸物件の経年劣化により低下するとCPIもその分、下がることになる。現に家賃は現在、前年比マイナス0.3%であり、日銀が物価目標として掲げるCPI上昇率2%を達成する上で障壁となっている。

住宅の経年劣化と物価はどう関係するのか。物価は、消費者が去年と同じ効用(生活の満足度)を得るのに必要な費用が増えているのか減っているのかを測るものである。去年と同じ満足度というのがここでのポイントである。住宅は経年劣化によって様々な不便が現れ、去年と同じ満足度を得られない。その満足度の低下分を補正する必要がある。これが「品質調整」とよばれる作業である。

首都圏の中古マンションを対象とした筆者達の推計では、経年劣化で家賃が低下する度合いは1年で1.1%である。この分を補正する必要がある。仮に現在公表されているCPIの家賃指数でこの補正が一切行われていないとすると、家賃指数の公表値であるマイナス0.3%に1.1%を足した0.8%が品質調整後の家賃の前年比ということになる。低下していたはずの家賃が実は上昇していたということだ。また、家賃が消費者物価に占める割合は18.7%なので、この補正により消費者物価が0.21%程度引き上げられるという計算になる。CPI上昇率2%の物価目標の達成に向けてコンマ以下の数字の動きを注視している日銀にとってこの差は大きな意味をもつ。

消費者物価 家賃指数の推移
  • (データ元:総務省 作成:(株)新生銀行 金融調査部)

消費者物価統計の精度向上という点からすれば、家賃の経年劣化分を正確に反映させることが大事なのは言うまでもない。早期実現を目指すべきである。しかし同時に、経年劣化分の扱いを変えることで日銀の物価目標達成が近づくというのは、筆者にはどうも腑に落ちない。同じ感想をもつ人は少なくないだろう。一方、年金をはじめとするCPIスライド型の契約は間違った数字に基づいて政府の支出などが行われていたことになる。しかしこちらは日銀の物価目標と違い、過去のことなので、ご破算にするというわけにもいかないかもしれない。経年劣化分を反映させること自体は技術的にさほど難しくないが、その余波はかなり大きいと見ておくべきだろう。

POS価格の品質調整

住宅が経年劣化するのは今に始まったことではなく、家賃の品質調整も実は昔からある論点である。日銀が家賃の品質調整を問題視するのも今回が初めてではない。しかしICT(情報通信技術)が急速に普及する中で、品質調整について、これまでになかった新たな論点が浮上してきている。筆者の最近の経験から二つの論点を紹介したい。

消費者物価統計を作成する専門家から構成される国際的ネットワークに「オタワ・グループ」というのがある。名称は、初回の会合が1994年にオタワで開かれたことに由来する。日本からは消費者物価を作成している総務省、企業物価を作成している日銀に加え、筆者と清水千弘氏(シンガポール国立大学教授、株式会社ナウキャスト取締役)が2009年から参加している。

このグループの集まりが今年5月に東京で開催された。今回の会議の中心的な話題は、POSデータやオンラインデータなどの新しいデータソースであり、それを消費者物価の作成にどのように活用するかであった。とりわけ議論が白熱したのは、こうした新しいデータをどのように品質調整するかであった。

POSなどの新しいデータを使えば世の中のあらゆる商品の価格を集めることができる。これは価格調査員を派遣して価格を収集するというこれまでのやり方では実現できなかったことで、収集できる価格の分量も大幅に増える。しかし量が膨大なのはよいことばかりではない。これまでの方法では少量であるが故に収集したひとつひとつの価格を丁寧に品質調整することができた。これは総務省も他国の統計局も同じである。しかし、量が膨大になると、ひとつひとつの価格をマニュアルで品質調整するのは不可能だ。品質調整を放棄するというのもひとつの選択肢かもしれないが、少なくとも今回の会議の出席者はそれには否定的だった。そうなると、膨大な量の価格データを、人手を介することなく品質調整するワザを開発する必要が出てくる。

議論を単純化するとこうだ。あるブランドの新商品が登場したとする。そのブランドの旧世代商品の後継だ。旧世代と新世代は当然、品質が異なっている。新しい技術要素がたくさん込められていれば品質差は大きい。品質が違えばその商品を消費することから得られる効用(満足度)も異なる。そのため、品質の向上分を推計することにより新旧世代の価格差を補正する必要が生じる。大幅な品質調整が必要になるのは、自動車やデジタル家電など技術進歩の速い商品であるが、それ以外の商品、例えば食品や日用雑貨でも、程度の差こそあれ原理的には同じことが起きている。

筆者と渡辺広太氏(明治大学)、上田晃三氏(早稲田大学)は2012年にジュネーブで開催されたオタワ・グループの会議で次のような方法を提案した。あるブランドの旧世代の販売シェア(販売終了月のシェア)と新世代の販売シェア(販売開始月のシェア)をPOSデータで計算する。新世代のシェアが旧世代のシェアより高かったとすれば、それは新世代の商品の品質が向上しているためと解釈できる。したがって新旧のシェアの違いから新旧の品質差を推計できる。この方法であれば個々の商品の品質をマニュアルで吟味する必要はなく、大量計算に馴染む。

ただし、この方法の難点は、初物を好むという消費者の性癖を無視していることだ。新世代の商品が品質的には全く改善されていないとしても、人々は単に新しいというだけで新世代の商品に群がり、販売シェアが上昇するということがあり得る。こうした初物効果が大きければ、品質差を正確に推計できなくなってしまう。そこで筆者たちは、販売シェアの変化を品質向上分と初物効果分に分離する方法を考案した(特許出願中)。これにより品質向上分だけの補正を価格に施すことが可能となる。

筆者の研究室が現在公開している東大日次物価指数(東大指数)は、1年前の今日存在した商品の価格が今日どうなっているのかを計測しており、今日時点では存在するが1年前の今日には存在しなかった商品(つまり、新商品)は計算の対象としていない(東大指数での新商品の扱いについて詳しくは東大指数のHP を参照)。しかし、上記の方法を用いることにより新商品の品質調整済み価格を推計し、それを東大指数に組み込むことは可能である。その計算を実際に行ってみると、前年比は下振れするとの結果が得られる。これは、東大指数が対象とする食料品や日用雑貨でも、新商品は旧世代より品質が高い傾向があるためだ。

ICTと品質調整

新商品は値段が高く、新商品が増えると物価が上がると考えがちだ。しかし筆者らの研究によれば、新商品は高品質だから値段が高いのであり、品質向上分を考慮すれば、新商品はむしろ物価を下げる方向に作用するのである。

新商品は物価を下げるということを別な視点から主張しているのがスティーブ・チェケッティ教授だ。チェケッティ教授はBIS(国際決済銀行)のチーフエコノミストを務めるなど大学と実務の両方で経験豊富な研究者だ。最近のマクロ経済学では、個々の商品の価格から出発してマクロの物価を論じるという方法論が支配的だが、彼はこの方法論の先駆者としても有名である。

先月彼と議論する機会があり、ICTの普及に伴う効用の増加が物価指数に反映されていないという事実が重要な意味をもつことを教えられた。グーグルの検索エンジンやツイッター、フェイスブックなど様々な新サービスが登場し、人々の生活の便利さが加速度的に向上している。彼の実感では、これにより人々の効用は著しく高まっているはずで、それは最終的には実質GDPの成長というかたちで現れるべきだ。しかし米国の統計のどこを探してもそういう傾向は見当たらない。

名目GDPを測り間違えることはあり得ないので、考えられるのは名目GDPを実質GDPと物価に分離する際のミスだ。つまり、最近の技術進歩を正確に捉えていれば物価はもっと下がるはずで、そうなっていれば、実質GDPはもっと高くなっているはずだ。何かのミスで物価の低下を把握しそこなっているというのが彼の見立てだ。マーチン・フェルドシュタイン教授がウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿した記事をきっかけにこうした見方が広がっている。

物価計測のどこにミスがあるのか。新商品の捕捉と品質調整のプロセスがまずいようだ。ICT絡みの新サービスは、市場に投入された直後は、ゼロまたは低料金で提供されているため、消費するサービスの金額が過少評価される。物価指数では、ある程度の金額を超えないと計算対象にしないというルールがあるので、新サービスは少なくとも初期の段階では対象外となる。その結果、新サービスの品質の高さが物価に反映されないという事態が生じる。

新商品の品質向上を考慮した場合

この議論は方向性としては正しく、実質GDPの過小評価のある程度の部分はこれで説明がつくであろう。しかしチェケッティ教授が指摘していたように、それがどの程度のオーダーかは実際に計算してみないと何とも言えない。また、これは米国だけの問題ではなく、日本を含む他国でも同種の問題が生じていると見るべきだろう。

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